教えのやさしい解説

大白法 521号
 
誓 願(せいがん)
 「誓願」とは、仏(ぶつ)・菩薩(ぼさつ)が一切衆生を救わんと誓(ちか)いを立て、その成就(じょうじゅ)を願うことをいいます。
 法華経の『方便品』に、
 「舎利弗(しゃりほつ)(まさ)に知るべし 我(われ)(もと)誓願を立てて一切の衆をして我が如(ごと)く等(ひと)しくして異(ことな)ること無からしめんと欲(ほっ)しき」(新編法華経 一一一)
とあるように、釈尊の願いは一切衆生を「我が如く等しくして異ること無からしめん」、すなわち成仏せしめることであり、その成就を願って法華経を説かれました。
 誓願について天台大師は、『摩訶止観(まかしかん)』の第七に、
 「発願(ほつがん)は誓うことである(中略)誓願を立てることによって行を持(たも)ち、初めて目的を達成することができるのである(趣意(しゅい))」
と釈(しゃく)しているように、誓願は目的(仏道の成就)に向かって進むためになくてはならない決定心(けつじょうしん)です。
 諸仏・菩薩の誓願には、『摩訶止観』や日蓮大聖人が『法華(ほっけ)真言勝劣事(じ)』に、
 「総別の二願満(まん)ぜずんば衆生の成仏も有り難(がた)きか。能(よ)く能く意(こころ)(う)べし云云」(御書 三一〇)
と説かれるように、総別の二意があります。
 総の誓願(総願)とは、すべての仏・菩薩に共通する誓願で、四弘(しぐ)誓願などをいいます。
 別の誓願(別願)とは、阿弥陀仏の四十八願(がん)、薬師(やくし)の十二願、釈尊の五百大願などの個別(こべつ)の願をいいます。
 日蓮大聖人は『開目抄』に、
 「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。大願を立てん(中略)我日本の柱とならむ、我日本の眼目(げんもく)とならむ、我日本の大船(たいせん)とならむ等とちかいし願(ねがい)やぶるべからず」(同 五七二)
と下種本仏の三大誓願を示されました。
 「柱」は主(しゅ)の徳、「眼目」は師の徳、「大船」は親の徳であり、三つの誓願によって主師親(しゅししん)の三徳を説かれています。すなわち、法華経の行者・御本仏(ごほんぶつ)日蓮大聖人は、三世常恒(じょうごう)大慈大悲の御化導(ごけどう)のため、日本乃至(ないし)世界の一切衆生を救済せん、と誓願されているのです。
 法華経『嘱累品(ぞくるいほん)』には、釈尊が地涌(じゆ)の菩薩をはじめ、その他の菩薩に法華経を三度(みたび)にわたって付嘱(ふぞく)せしめています。このとき菩薩たちは、
 「仏の仰せの如く必ず実践します(趣意)」(新編法華経 五二〇)
と誓願されました。
 このように今私たちは、
 「大願(だいがん)とは法華弘通(ぐずう)なり」(御書一七四九)
との御本仏日蓮大聖人の大誓願である広宣流布を目指(めざ)して、御法主上人猊下の常(つね)の御指南である「一年に一人が一人以上の折伏」を行うことを御本尊に誓願し、必ず実行してまいりましょう。これは、地涌の菩薩の眷属(けんぞく)として必ず成(な)し遂(と)げなければならない使命(しめい)と確信すべきです。